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zoom RSS 太陽の塔は「シンボルタワー」ではなかったはずだ!

<<   作成日時 : 2009/06/17 00:35   >>

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今日の夕刊各紙一面に,先ごろ引退した新幹線「0系」車両と「太陽の塔」のツーショット写真が載った。

JRから吹田市に譲渡された「0系」車両が,その搬送途中に万博記念公園前を通過したのだとか。


「0系」と「太陽の塔」という高度成長の顔同士がご対面!

といったちょっと陳腐な(失礼!)演出だ。

全国紙がこぞって取り上げるほどのこともなかろうに,と思ったが,まあ絵的には面白いかもしれない。


なかで,S経新聞が,太陽の塔を称して「大阪万博のシンボルタワー」だなんて書いていた。

大阪万博のシンボルタワーって,今は無きエキスポタワーだったはずだ。

いつから太陽の塔が???


当時を知りもしない記者が,想像でイイ加減なことを書いたのだろうけど・・

ブンヤとはいえ,プロの物書きなら,もうちょっと勉強しなきゃねぇ・・


*************************

「太陽の塔」は万博のテーマ館であり,パビリオンの一つだった。

万博のテーマだった「人類の進歩と調和」を体現するテーマ館のプロデュースを依頼された岡本太郎は・・

「オレは進歩と調和なんて大嫌いだ!」

と言って,あの異形の巨塔を打ち建ててしまった。

世界の丹下健三が,お祭り広場に地上30メートルの大屋根をかける計画だったところに,太郎は70メートルもある「怪物」を建てると言いだし,ついに丹下の大屋根に大穴を開けさせたのだ。


そんなベラボーで反動的な構想をブチあげた太郎もスゴイが,結局,それをそのまま受け入れた万博協会,財界の大立者だった協会長・石坂泰三の懐の深さたるや・・

あの時代には,まだ,そんなとんでもない日本人が活きていた。

そんなエネルギーがあって,大阪万博は万博史上最大の大イベントになったのだ。


世の中,今よりずっと大らかだったし・・ 

はみ出そうが何しようが,呑み込む「器」が日本の社会にもあった。

それが,いつから,今みたいにせせこましくなったのだろう?


「太陽の塔」は,当時,子どもたちを中心に大人気になり,実質は万博のシンボル的存在になっていた。

そして,40年たった今でも,彼だけがそびえ立っている。

その時々,出会う者たちに強烈なインパクトを与えながら・・

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